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日本の古い木造建築紹介!高知城編
先日高知城へ行って来ました! 最後に行ったのは小学生の頃だったように記憶してますが、いまいち覚えていません。 こんなに近い場所に歴史的建造物があるのにいままで行かなかった事を悔やんでいます。 今回は「高知城」について色々とまとめて見ようと思います。 「高知城」の歴史! 1601年、佐藩初代藩主「山内一豊」が築城を開始。 1610年、約10年掛かって完成しました。 1727年、城下町の火事が原因でほぼすべての建物が消失してしまいます。 1729年、お城の再建が始まります。この約2年間お城の人達はどこで暮らしていたんでしょうか? 1749年、天守閣などが完成。現在の天守閣はこの時のものだそうです。約270年前の建築物だと考えるとワクワクします。 1873年、明治政府の廃城令によって一部を残して取り壊された。出来れば残しておいてほしかったです! 1934年、国宝に指定されます。 1945年、空襲を受けるが、大きな被害はなかった。 1946年、南海地震によって大きな被害を受けた。 1948年、修復工事が始まる。 1959年、修復工事完了。 ざっと高知城の歴史を羅列してみました。 こうやって改めて歴史を見てみると、日本全国にあったお城が1615年の「一国一城」で多くのお城が壊されて、更に明治政府によって高知城も二の丸や三の丸にあった建物も壊されました。 しょうがないとは思いますが、見てみたかったですね。 1727年の火事がなければ400年前の建築物ですが、それでも現在の天守閣や追手門は2021年現在272年前という事になるんです! そして、戦争や災害も乗り越えてそこに存在しているのです。 こう考えるだけでもワクワクしますね。 高知城に入る手前に山内一豊の銅像があります。 「高知城」の見どころを紹介! 高知城の歴史を見たところでここからは僕の視点から高知城の見どころを紹介したいと思います。 物凄くマニアックな視点かも知れませんが、約270年前の職人さん達の技術を見てみようじゃありませんか! それではいってみましょう! 追手門! まず最初に通る事になる「追手門」。 ここでの第一印象は「デカい!」何もかもデカいんです!...
日本の古い木造建築紹介!高知城編
先日高知城へ行って来ました! 最後に行ったのは小学生の頃だったように記憶してますが、いまいち覚えていません。 こんなに近い場所に歴史的建造物があるのにいままで行かなかった事を悔やんでいます。 今回は「高知城」について色々とまとめて見ようと思います。 「高知城」の歴史! 1601年、佐藩初代藩主「山内一豊」が築城を開始。 1610年、約10年掛かって完成しました。 1727年、城下町の火事が原因でほぼすべての建物が消失してしまいます。 1729年、お城の再建が始まります。この約2年間お城の人達はどこで暮らしていたんでしょうか? 1749年、天守閣などが完成。現在の天守閣はこの時のものだそうです。約270年前の建築物だと考えるとワクワクします。 1873年、明治政府の廃城令によって一部を残して取り壊された。出来れば残しておいてほしかったです! 1934年、国宝に指定されます。 1945年、空襲を受けるが、大きな被害はなかった。 1946年、南海地震によって大きな被害を受けた。 1948年、修復工事が始まる。 1959年、修復工事完了。 ざっと高知城の歴史を羅列してみました。 こうやって改めて歴史を見てみると、日本全国にあったお城が1615年の「一国一城」で多くのお城が壊されて、更に明治政府によって高知城も二の丸や三の丸にあった建物も壊されました。 しょうがないとは思いますが、見てみたかったですね。 1727年の火事がなければ400年前の建築物ですが、それでも現在の天守閣や追手門は2021年現在272年前という事になるんです! そして、戦争や災害も乗り越えてそこに存在しているのです。 こう考えるだけでもワクワクしますね。 高知城に入る手前に山内一豊の銅像があります。 「高知城」の見どころを紹介! 高知城の歴史を見たところでここからは僕の視点から高知城の見どころを紹介したいと思います。 物凄くマニアックな視点かも知れませんが、約270年前の職人さん達の技術を見てみようじゃありませんか! それではいってみましょう! 追手門! まず最初に通る事になる「追手門」。 ここでの第一印象は「デカい!」何もかもデカいんです!...
木製建具と組子細工の歴史について
何かを学ぶならまずその歴史を知ろう!と言うのは私がいつも思っている事ですが、今回は私が携わっている木製建具と組子細工の歴史についてまとめてみようと思います。 日本において木製建具は607年に建立された「法隆寺」に納められている建具が最も古いものだと言われています。 世界的にみても世界最古の木造建築という事で世界遺産にも登録されています。 その法隆寺にはすでに組子細工も施されており、約1400年以上も前からその時代の職人さん達によって受け継がれているという事になります。 その後も寝殿造りなどの建築技術も発展していくと同時に建具や組子細工の技術も発展していきます。 中でも江戸時代(1600年以降)に多くの種類の模様が生み出され200種類以上の模様が生み出されており、職人たちは自分たちの技術を競い合っていたようです。 徳川幕府に治められていた大きな戦も無い時代だったので、芸術や娯楽はこの頃に大いに発展したそうです。 しかし、明治以降には海外からの技術も入って来るようになりアルミ材などによって軽量化されて、コストを下げる為に大量生産されたものが主流になっていきます。 2020年代の現在では更に進歩した技術によって、多くの建具が大量生産されたものに置き換わり、職人が一から制作する木製建具はさらに減少傾向にあります。 組子細工に至っても和室の減少や、コストの面でも住宅に取り入れることは現在ではほとんどありません。 需要が減るという事はそれらを制作する職人さんの需要も減り、技術を継承する機会も失われていきます。 テクノロジーの発展は止められないと思うのでこれからも需要は減ってしまうかもしれませんが、1400年以上も伝えられて来たこの技術と知識を途絶えさせないように私が出来る事をこれからもやっていこうと思っています。
木製建具と組子細工の歴史について
何かを学ぶならまずその歴史を知ろう!と言うのは私がいつも思っている事ですが、今回は私が携わっている木製建具と組子細工の歴史についてまとめてみようと思います。 日本において木製建具は607年に建立された「法隆寺」に納められている建具が最も古いものだと言われています。 世界的にみても世界最古の木造建築という事で世界遺産にも登録されています。 その法隆寺にはすでに組子細工も施されており、約1400年以上も前からその時代の職人さん達によって受け継がれているという事になります。 その後も寝殿造りなどの建築技術も発展していくと同時に建具や組子細工の技術も発展していきます。 中でも江戸時代(1600年以降)に多くの種類の模様が生み出され200種類以上の模様が生み出されており、職人たちは自分たちの技術を競い合っていたようです。 徳川幕府に治められていた大きな戦も無い時代だったので、芸術や娯楽はこの頃に大いに発展したそうです。 しかし、明治以降には海外からの技術も入って来るようになりアルミ材などによって軽量化されて、コストを下げる為に大量生産されたものが主流になっていきます。 2020年代の現在では更に進歩した技術によって、多くの建具が大量生産されたものに置き換わり、職人が一から制作する木製建具はさらに減少傾向にあります。 組子細工に至っても和室の減少や、コストの面でも住宅に取り入れることは現在ではほとんどありません。 需要が減るという事はそれらを制作する職人さんの需要も減り、技術を継承する機会も失われていきます。 テクノロジーの発展は止められないと思うのでこれからも需要は減ってしまうかもしれませんが、1400年以上も伝えられて来たこの技術と知識を途絶えさせないように私が出来る事をこれからもやっていこうと思っています。
木工製品と環境問題について。
昨今あらゆる分野で環境問題に対する意識が高まっています。 私が製作している組子細工や木工製品も例外ではありません。 私の作品では木材という自然の材料を使用していますが、組子細工自体材料としては3mm程の細い材料でも使用出来るので発生する端材も少量です。 しかし、製作工程でどうしても削った跡のおが屑や木の端材が発生します。 私の工房ではヒノキのおが屑は小分けにして店舗前にて無償で提供しています。 代表的な用途としては、消臭剤や花壇などの土に混ぜて使って頂いています。 さらに多くのおが屑が出た際は近隣の農家さんに引き取って頂き畑の土に混ぜて使用してもらっています。 これによりゴミとして処分するおが屑はほぼ無くなっています。 ほんの少しの事ですが、少しでも意識する様に心掛けています。
木工製品と環境問題について。
昨今あらゆる分野で環境問題に対する意識が高まっています。 私が製作している組子細工や木工製品も例外ではありません。 私の作品では木材という自然の材料を使用していますが、組子細工自体材料としては3mm程の細い材料でも使用出来るので発生する端材も少量です。 しかし、製作工程でどうしても削った跡のおが屑や木の端材が発生します。 私の工房ではヒノキのおが屑は小分けにして店舗前にて無償で提供しています。 代表的な用途としては、消臭剤や花壇などの土に混ぜて使って頂いています。 さらに多くのおが屑が出た際は近隣の農家さんに引き取って頂き畑の土に混ぜて使用してもらっています。 これによりゴミとして処分するおが屑はほぼ無くなっています。 ほんの少しの事ですが、少しでも意識する様に心掛けています。